突然キレて殴りかかる父親。
泣き叫ぶ声と、血で赤く染まる部屋。
生まれた時からこんなことが日常茶飯事でした。
過酷な幼少時代を過ごした私は対人恐怖症になってしまいました。
どんな人間も信用できない。
特に成人男性は絶対信じてはいけない。
隙を見せてはいけない。どんな人間にも。
生まれて数年しか経っていない子供のくせに、そんなことを常に考えていました。
人を信用できないので、人間関係の築き方も分かりませんでした。
家庭内で唯一教わった人間関係は「支配するものと支配されるもの」というあり方だけ。
誰かと仲良くなるなんて私には理解不能でした。
対人恐怖症の子供
6歳の頃、私と兄を守るため、母は離婚を決意しました。
今ほど離婚が一般的ではなかった時代です。
でも母は私達を守るため離婚し、女手一つで育ててくれました。
父親のDVがなくなり、家の中は平和になりました。
でもそれだけでは私自身はなにも変わりません。
今までまともな人間関係を知らない私です。
父親がいなくなったとはいえ、対人恐怖症が治るわけではありませんでした。
友達の輪に入れない。人との距離感が分からない。
私は常に孤立していました。
転校先でのいじめ
小学生の頃、転校先でひどいいじめにあいました。
転校生。対人恐怖症。お金がなくて服もダサい。
私はいじめるのにうってつけの子供でした。
毎日休み時間になるたびに体育館裏で殴られたり、お金を取られたり。
担任の先生に相談しましたが、なにも解決しませんでした。
そんな経験のせいで対人恐怖症が余計にひどくなりました。
また、自分に自信が全く持てず、卑屈になりました。
中学1年生で不登校に。
2年生の時には中学生なのにストレスで胃炎になりました。
暗黒の高校時代
一番辛かった学生時代は高校生の頃です。
高校生にもなればオシャレや恋に目覚め、青春真っ只中という楽しい時期。
そんな貴重な時期を、私は自信がなかったせいで全然楽しめませんでした。
暗くて地味でブス。
クラスに一人はいる、メガネで教室の隅にいつもいるゴミみたいな存在。
カースト制の底辺にいる気持ち悪い女。
それが高校生の頃の私です。
自分のようなブスが、可愛い服を着てはいけないと思っていました。
欠点ばかりに目を向け、自分を磨くことをすべて避けていたのです。
自分のブスな顔を相手に見られるのが怖くて、顔をあげることができない。
前髪を長く伸ばし、常にうつむいて生活をしていました。
「ブス」「気持ち悪い」といった心無い言葉を容赦なくかけられました。
同じクラスの同級生だけでなく、よそのクラスの男子にまで笑われることも。
自分なんて生きている価値がない。消えてしまいたい。
毎日そう思っていました。
学校に行くのは辛かったですが、中退と留年は避けたかったので頑張って卒業しました。
高校卒業後は服飾専門学校に進みたかったのですが、学費面で母に負担をかけたくなかったので就職することに。
この就職をきっかけに、私の人生は大きく変わっていくのです。
次回に続く
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