こんにちは、角野小町です。
私は元カリスマ古着屋ショップ店員&縫製技術者で、現在は主人と幸せな結婚生活を送る専業主婦です。
カリスマ、なんてカッコイイ過去を語っていますが、じつは父親のDVやイジメのせいで対人恐怖症でした。
しかも自分にまったく自信が持てず、何を着ても似合わないと思っていたせいですごくダサかったんです。
ダサいせいで笑われたり嫌がらせをされるのなんて日常茶飯事。
学生の頃は違うクラスの名前も知らない男子に「ブス」「キモい」と言われることさえありました。
そんな私がなぜカリスマと呼ばれるショップ店員になり、幸せな結婚生活を送れるようになったのか?
私の悲惨な過去を振り返りながら綴っていきます。
父のDVと貧困
私がアパレル業界に就職しようと思ったのは、わずか4歳の頃。
理由は、服を買ってもらえる家庭環境じゃなかったから。
私の父親は一度キレたら部屋が血の海になるほど私達家族を殴りつけるという、いわゆるDV男でした。
そのうえ、自分が稼いだお金はほとんど家に入れずギャンブルにつぎ込んでしまいます。
毎日食べていくのがやっとの生活。
こんな状況で私は自分の服が欲しいなんて口が裂けても言えませんでした。
常に殴られるかもしれない父に対する恐怖。
いつもお金がないことに苦しむ母に対する、自分の存在の申し訳ない気持ち。
私がいるからお金がなくてお母さんが困っている。
私が生まれてなかったら、お母さんはもうちょっと楽だったのに。
私は物なんて欲しがってはいけない。
物心ついた頃からずっとそう思っていました。
兄は要領が悪く、いつも父の機嫌を損ねてボコボコに殴られます。
私はそれを見て「自分は殴られたくない」という一心で父のご機嫌伺いばかりするようになりました。
まだ言葉もおぼつかないような年齢で強いられた、父に殴られないための媚びへつらいと欲しいものをひたすら我慢すること。
小さい子が迎える反抗期、俗に言うイヤイヤ期は私には許されませんでした。
そんなことをしたらボコボコに殴られて最悪死ぬかもしれない。
嫌だと思おうがひたすら我慢。何があっても我慢。
我慢と媚びへつらいしか許されない、がんじがらめの幼少期。
それでも私はどうしても、どうしても服が欲しかったんです。
おもちゃ屋さんで売っている、お姫様みたいなドレス。
普通の家庭なら着れたはずの七五三の可愛い着物。
発表会で着るような可愛いワンピース。
保育園の同じクラスの子が着ている可愛い服。
全て私の手に入らないものばかりでした。
いつしか私は「欲しくても手に入らないなら自分の手で生み出すしかない」という考えるようになりました。
欲しくてたまらない服は自分の手で作る。
私は将来、洋服を作る仕事に就こう。
4歳の私はそう決心したのです。
次回に続く
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